表参道

美濃和紙の里
上野 八幡神社

祓具(はらえぐ)について

修祓(しゅばつ)=お祓いする時の道具の事を祓具という。
大きく分けて、大麻(おおぬさ)と塩湯(えんとう):また、それに似たものとして清め塩(きよめじお)がある。
大麻祓え串(はらえぐし)と榊などの常緑樹の枝を用いる大麻とがある。どちらも大麻と総称する。木の棒を用いるものを祓え串とのみ言う場合もあるが間違いでは無い。(もちろん大麻である) 大麻(おおぬさ)と麻の文字があるように、どちらもを用いるところから来ている。麻には罪穢れを祓う特別な力があると信じられている。この場合の偉大な(great)とでも解するべきか。
祓え串は、木の棒に紙垂(しで)=和紙などに切れ目を入れ、折り目を付けて数十枚重ねたものや、麻紐を垂らす。大麻は、木の棒に変えて榊などの常緑樹の枝を用いる。紙垂、麻紐をつけるところは、祓え串と同じである。
左 大麻に用いる紙垂八垂(一例)(自作) 折る前 右 折るとこのようになります 


      

折り方

美濃和紙の半紙一帖(22枚)を4等分して図のように切れ目を三分の二の長さまで入れる。
それを22枚まとめたままで互い違いに折ってゆく。
1枚1枚丁寧にほぐして、重ならないようにする。(あくまでも一例)
詳しい作り方は指導が必要。用いる時の作法も同じく。

大麻の解義

前章で罪穢れについて触れたが、大麻は文字通りそれらを祓うための道具である。
わかりやすく考えるならば、塵払い(はたき)のような働きをすると言える。
しかし、塵払い=大麻と考えるのは早計である。
罪、穢れは物質的な汚れや塵芥と異なり目には見えない。これらはむしろメンタル的な範疇に属するものと考えられる。しかし、目に見えないからと言って、有るのか無いのかどちらともいえないようなあいまいなものでは決して無い。例えば、我々は穢れに接すると、その場の雰囲気に囲まれた時なんともいえない異常な空気(?とでも言うべきか)に包まれ、逃げ出したくなるような違和感を覚えるものである。感性の観点から見るならば間違いなく存在していると言える。
即ち大麻は、それらを祓い清めるために用いる祓具(はらえぐ)である。

使用上の注意

使い続けると、塵はらい(はたき)それ自体が、汚れるように大麻自体も罪穢れを付着させる。葬儀やそれに類する重大な穢れを祓う祭儀に用いる場合頻繁に取り替えるべきである。

お断り

死それ自体、重大な穢れであることは間違い無い。しかし、故人の尊厳や親族家族の哀悼の念などとは別けて考えられるべきである。穢れ即ち、忌み嫌うもの、蔑視などと言う考えに陥る事無くあくまでも死は厳粛なものとして受け止められるべきものである。

            

左 自作の祓え串(大麻)          右 大麻(自作) 

              
左 塩湯(えんとう) 右 清め塩(きよめじお)

塩湯とは、ぬるま湯に塩を溶かしたものを榊などの小枝の先に少し浸し、修祓する対象に跳ね飛ばすようにして降り注ぐ祓具である。用いる器は、曲げわっぱなどを用いた、桧などの木製品や、図のように陶磁器製のものなどがある。同じようなもので、塩水ではなく乾いた塩を直接ふる場合もある。即ち、清め塩である。
清め塩については、伊勢の神宮の御垣内参拝(みかきうちさんぱい)の時我々が受けるお祓いなどは清め塩によるものである。その他、葬儀などで配られる、小さな袋に入った「御清めの塩」などはその類型である。一部の仏教関係者からは、「御清めの塩」の廃止の声もでているが、日本人の習俗に染み付いてしまっている以上、簡単に廃止出きる物でも無いと思われる。
古来から日本人は、塩に穢れを祓う特別な力があると信じられてきた。特別な祭儀の時以外でも、穢れを感じた時などに塩を撒かれる人はよく見かける。

塩による祓い清めの由来

塩による祓い清めの由来として考えられるものは、古事記に記されている、イザナギノ命の物語である。黄泉の国から帰られた命が、心身に異常なまでの強い穢れを感じられ、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓いなされた故事にもとずいている。即ち、海水による禊である。このことからも、塩に特別な力があると考えられ、塩水はもちろん塩のみによる祓え清めの文化が生まれたと考えられる。もちろん、汚れを洗い流す水にも祓え清めの力があると信じられてきた。川や滝などで行なわれる、淡水の禊も海岸などで行なわれる禊同様存在する。

その他の祓具

切麻(きりぬさ)

細かく正方形に切り刻んだ和紙に麻を細かく刻んだものを混ぜてある。お祓いするものにふりかける。イメージとしては、ふりかかったもの(または人)の穢れを付着させながら、下に落ちると考えられる。

日常の禊祓い

しかし、もっと大切なのは日常生活での禊祓いである。生活態度全般が大事である。過ちを犯したことに気がつけば直ちに反省する心構えが大切である。人に対してはすぐに謝る事の出来る潔さが求められる。私も含め、これがなかなかと出来ない人が多いのも事実である。当然のことながら、上に述べた祓具でお祓いをすればそれで済むような簡単な人生ではない事をお互いに肝に銘じよう。

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