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目次集

宮司からのメッセージは、必要に応じて時々お話を付け加えたり、変更したりしていきますので、あなた様のリクエストを心からお待ちしております
新しい記事ほど上になります
■2004/02/21 (土) 心霊問題の取り組みに意識改革を望む
以下のお話は、私と私の尊敬する朋友との対話のまとめです。

心霊の世界は、目に見えない世界だからこそ説明も難しいし、信じてもらうのも難しいのが現実です。体験した人にしかわからない世界でもあります。
しかし、体験が無くても信じてくれる人もいますし、また、おかしなことに体験しても信じようとしない人もいますし、それぞれに複雑な問題をはらんでいます。このままでは、いつまでたっても平行線だと思います。信じるか?信じないか?だけなのですから。中には霊的な力を波動と言い換えてるだけで、力は信じている人もみたいです。でもそのもとになる、個別の霊魂の存在は信じてはいないと言うような矛盾をおかしてしまっています。昔はたくさんの霊体験をしたお坊さん、神主さんが多かったんですけれど、時代が進むにつれ力のある人たちが減ったのも現実の問題としてあげられます。昔の教えが正しく伝わっていないし、削除されている部分がとても多いのも事実です。日進月歩する勢いの科学に打ち負かされてしまい、偉い神主さんやお坊さんも怖気づいてしまっているみたいに思われます。
それに、格式のある大きな伝統宗教では、世間の一般常識に合わない人は、出世できないようになってるしまっているみたいですから、かえって真理を求める若い人たちにも魅力をアピール出来なくなってしまっているのでは無いでしょうか?
今言えることは、もういいかげんに遠慮したり、物怖じしないで、自分の体験を堂々と何はばかる事無く、強く主張して、強くはびこる心霊問題に関する偏見を拭い去って行く事が一番大事な時期に来ているのでは無いのでしょうか?要するに意識改革を断行し、人間本来の智慧を復活させ、人類を再生させることが急務であると信じて止みません。

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■2004/02/21 (土) 幽体実験解説
私が常に言っている「われわれに於いて、視覚、聴覚、味覚、触覚などの感覚と同じように、感性も立派な感覚なのだから、感じたことも実際の体験として、尊重すべきである」と言うのはそこなのです。
ところが社会全体が科学の発達により、あまりにも唯物思考、即物思考に偏重し、感性を軽んじるようになってきたことが、人間の本来の姿をゆがめてきてしまったように思えてなりません。
私たちは子供のころ、大人にそのような話をすれば、十中八九「夢を見ていたんだろう?」「幻覚を見ただけだ。」と一笑に付せられ、おしまいにされて来ました。
私はこあさんのような体験でしたら、5〜6回はあります。しかし、幼かったし、自分では本当だと信じられる確証もありましたが、大人たちの強行に否定する態度に根負けをし、仕方なく「あれは夢幻だったんだ。」となかば、信じ込まされてしまってきたのです。

>私の友人は幽体離脱して、自分の寝ている姿を見たことがあると言っていました。

私は、職業柄かも知れませんが、そういう人には十人近く会ってお話を聞いています。少ないですけれどね。
彼(彼女)らは、最初は遠慮がちに話すんですよ。「こんな奇妙な話をして、笑われはしまいか?」なんて心の中で思っているみたいに。でも、しゃべりだすと饒舌になりますし、私の体験も述べると、本当に打ち解けてくれました。
いまだに、まじめに話せない社会の風潮は確かにありますね。極端ですけれども、こんなことしょっちゅうしゃべっていたのなら、精神科を勧めれはしないか?なんて。そう言うところは確かにあるような気がします。
私の体験はまだありますが、私が先に述べたのは、自分なりに確証を取った確実な体験のみを述べさせていただきました。なにせ、2年課程の神道の専門学校を卒業したあとの、大学の1年でしたから、今まで何度も経験してきた神秘体験を、人に説明したり、立証したりするのはおこがましくとも、自分なりに確認を取って、自分自身を納得させたいと思っていたからでした。
その結果が、自分なりに現実の出来事であったわけで、半分の確率で「夢、幻」に転ぶかも知れなかったことです。でも、今まで信じてきた自分の感性通りの結果が出たことは、今まで持ち続けてきた、自分の感性が本物だったとの確信が持てたわけです。
■2004/02/21 (土) 昭和51(1977)年夏の夜の幽体実験(2)
その廊下の3階の突き当りを透過すると、宙に浮かんでいました。
そのまま、外宮様と内宮様を空中参拝しました。「ついでに御神体を・・・」と言う気持ちがよぎりました。ひょっとすると透視能力も働くのではと思いました。でも、怖くて実験できませんでした。神道信仰者のせめてもの良心でしょう。
参拝を終えるころには新たなる恐怖が襲ってきました。それは、「もう二度と自分の肉体に戻れなかったらどうしよう。」と言うかなり深刻なものでした。一方で「こう言う場合は霊(たま)の緒がまだ切れていないはずだし。生きて帰れるはずだ!」と自分を励ましたりもしました。
帰りを急ぐ途中、二人の私の同類?に追いかけられ「つかまったらおしまいだ」と言う予感を感じつつ、もと来た空を飛びながら、自分の部屋に帰り着きました。
とっさに、同輩のO君の上に飛び乗り「大変だ、助けてくれ、殺される!」などと絶叫しましたが、彼に私の声が聞こえる様子も無く、体をゆすっても動く気配も無いし(当然ですね)、あきらめて自分のベッドに行きました。
そうすると、まるで高速のエレベーターで下に下りているような不快な気分に襲われ、自分の肉体に吸い込まれて行くような気がしました。
そこで記憶は途切れ、朝になっていましたが、ものすごい疲労感で起き上がることができずに、その日は休校したと記憶しています。(診断は風邪です。病院へも行きました。まさか、夜中に空を飛び回っていたので、疲労なんて診断もおりませんでした。笑)
残念ながら、日記につけてはいたのですが、紛失してしまいました。
別にその時は自分のまわりに、自分の体験を力説したり、主張しまくるつもりもありませんでした。
私にとって「肉体を離れても、自分の心は確かに存在した」と言うことを確信できただけで満足したのでした。
■2004/02/21 (土) 昭和51(1977)年夏の夜の幽体実験(1)
私の実際の体験談です。
大学1年の夏休み少し前、幽体離脱と言うものを体験しました。1976年の出来事ですので記憶は少しあいまいですが、事実です。
その日は熱っぽくて体がだるく,午後9時ごろから寮のベッドで寝ていました。
12時ごろ抑えつけらるような重苦しさで目を覚ましました。
それから、コメカミに血が充血をして破れるような苦痛と、五体が引き裂かれるような激痛を覚えました。
不思議と体が軽くなると、どんどん天井に昇っていきました。
反転して私が見たものは、なんと私の仰向けになった無様な寝姿でした。
私は、「ハハ〜これがうしろの百太郎で言ってた、幽体離脱と言うやつか!」と思いました。不思議な気持ちでした。「もし、これが現実ならば、実験しない手は無い!」そう思いました。
それにしてもメガネをかけていないのに、ものすごく良く目が見えるのです。視力が普段左0,2右0,1(メガネが無ければ生活できない)なのに一気に1,5?以上上がった感じでした。ためしに3メートル以上離れた壁に貼ってあるフォント12くらいの文字で書かれた掲示板を読んでみました。驚くことに、全部すらすら読めるのです。いくら、目のいい人でもそこまではと言うくらいでしょう。
その次に思ったのは「幽体か霊体か知らないが、僕は今空気みたいなものだから、ドアを開けずに外に出られるはずだ。」そして、ドアに向かうと自然と廊下に出ていました。そこでもう一回視力検査をしました。廊下の一番はしまで行き、一番遠くの壁にかかっているカレンダーを読みました。もちろん、全部読めました。
また、思いました。「廊下を透過できたのだから、空中浮揚もできるはずだ!」私の住んでいた寮の4人の相部屋は315号室で、3階にありました。
■2004/02/11 (水) 建国記念の日
雲に聳ゆる高千穂の
高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世を
あおぐきょうこそたのしけれ

海原なせる埴安の
池のおもより猶ひろき
めぐみの波に浴みし世を
あおぐきょうこそたのしけれ

天つひつぎの高みくら
千代よろずよに動きなき
もとい定めしそのかみを
仰ぐきょうこそ楽しけれ

空にかがやく日のもとの
よろずの国にたぐいなき
国のみはしらたてし世を
仰ぐきょうこそ楽しけれ
■2004/02/09 (月) 建国記念日決定の要素
以下ごらんのように、世界中のほとんどの国が、現政権成立の日を以って建国の日としているのです。
日本にそれを当てはめようとすることは不可能なことでは無いでしょうか?

 この日本は、神武天皇が建国されたことになっています。
じゃ〜、反論のある人は、誰が建国したかを述べてください。
ほかの人物が思い浮かばないようでしたら、神武天皇しかおられません。
 まずは、建国記念日制定の理由として、建国の英雄神武天皇の御存在を優先すべきです。
そうなると、年月日は二の次ですよね。
『日本書紀』は、神武天皇が橿原の宮で即位した年を辛酉(かのととり)紀元前660年の2月11日のこととしています。
 日本建国にかかわった人物として、神武天皇をはずすことができないとなると、上の日本書紀の記述のとおりに建国記念日を決定せざるを得ないと思います。
われこそはと思う人は、反論してください。

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■2004/02/09 (月) 世界各国の建国記念日(3)
パキスタン 8月14日 独立記念の日 1947年イギリスから独立した日
パナマ 10月11日 独立記念日
パラオ共和国 10月1日 パラオ独立記念祭 1994年、アメリカ合衆国の信託統治から独立した日
ハンガリー 8月20日 建国記念日
バングラデシュ 3月26日 独立記念日 1977年パキスタンから分離独立した日
フィリピン 6月12日 独立記念日 1898年革命軍の最高指導者アギナルド将軍が独立を宣言した日
フィンランド 12月6日 独立記念日
ブラジル 9月7日 独立記念日 1822年ポルトガルから独立した日
フランス 7月14日 Fete nationale 1789年バスチーユ牢獄襲撃によりフランス革命が始まった日
ブルガリア 3月3日 解放記念日
ベネズエラ 7月5日 独立調印記念日 1811年スペインから独立した日
ベラルーシ 7月3日 独立記念日 首都ミンスクがドイツ軍から解放された日
ベリーズ 9月21日 独立記念日 1981年イギリスから独立した日
ペルー 7月28日 独立記念日 1821年スペインから独立した日
ベルギー 7月21日 独立記念日
ポーランド 7月22日 独立記念日
ボツワナ 9月30日 独立記念日 1966年イギリスから独立した日
ボリビア 8月6日 独立記念日 1825年スペインから独立した日
ポルトガル 10月5日 共和国記念日
ホンジュラス 9月15日 独立記念日 1821年スペインから独立した日
マラウイ 7月6日 独立記念日
マリ共和国 9月22日 独立記念日 1960年、マリ連邦からのセネガルの離脱により単独で独立した日
マレーシア 8月31日 独立記念日 1957年マラヤ連邦としてイギリスから独立した日
ミクロネシア連邦 11月3日 独立記念日
南アフリカ 5月31日
ミャンマー 1月4日 独立記念日 1948年イギリスから独立した日
メキシコ 9月16日 独立記念日 1810年メキシコ独立革命が始った日
モーリシャス 3月12日 独立記念日 1968年イギリスから独立した日
モルジブ 7月26日 独立記念日 1965年イギリスから独立した日
ヨルダン 5月25日 独立記念日
ラオス 12月2日 建国記念日
リビア 9月1日 革命記念日
リベリア 7月26日 独立記念日 1847年アメリカ合衆国から独立した日
ルーマニア 12月30日 建国記念日
レソト 10月4日 独立記念日 1966年イギリスから独立した日
ロシア 6月12日 独立記念日
■2004/02/09 (月) 世界各国の建国記念日(2)
カンボジア 11月9日 独立記念日
北朝鮮 9月9日 国慶節記念日 1948年朝鮮民主主義人民共和国建国が宣布された日
キプロス 10月1日 独立記念日
キューバ 1月1日 解放記念日 1959年キューバ革命を達成した日
ギリシア 10月28日 国家記念日
グアテマラ 9月15日 独立記念日 1821年スペインから独立した日
コートジボワール 12月7日 独立記念日
コスタリカ共和国 9月15日 独立記念日 1821年スペインから独立した日
コロンビア 7月20日 独立記念日 1810年スペインから独立した日
サウジアラビア 9月23日 建国記念日
サモア 6月1日 独立記念日
ザンビア 10月24日 独立記念日 1954年イギリスから独立した日
シンガポール 8月9日 独立記念日 1965年マレーシア連邦から分離独立した日
ジンバブエ 4月18日 独立記念日
スーダン 1月1日 独立記念日 1956年イギリス・エジプト両国の統治下から独立した日
スリランカ 2月4日 独立記念日 1948年イギリスから独立した日
スワジランド 9月6日 独立記念日 1968年イギリス保護領から独立した日
タイ 6月24日 革命記念日
タンザニア 4月26日 連合記念日
中華人民共和国 10月1日 国慶節 1949年、毛沢東が天安門で建国宣言をした日
ドミニカ共和国 2月27日 独立記念日 1844年ハイチから分離独立した日
トルコ 10月29日 共和国宣言記念日 1923年正式に共和国となった日
ナイジェリア 10月1日 ナショナルデー 1960年イギリスから独立した日
ナミビア 3月21日 独立記念日 1990年南アフリカから独立した日
ニカラグア 9月15日 独立記念日 1821年スペインから独立した日
日本 2月11日 建国記念の日 紀元前660年、伝説上の神武天皇が即位したとされる日(旧暦一月一日)
■2004/02/09 (月) 世界各国の建国記念日(1)
建国記念日とは、文字通り建国を記念する日であるが、なにをもって建国とするかは、国によって異なっている。

各国の建国記念日と名称
国名 建国記念日 名称 由来
アフガニスタン 8月19日 1919年宗主国イギリスとの間で独立に関する条約が結ばれた日
アメリカ合衆国 7月4日 Independence Day(独立記念日) 1776年イギリスからの独立が宣言された日
アラブ首長国連邦 12月2日 連邦結成記念日
アルバニア 11月29日 解放記念日
アルゼンチン 7月9日 独立宣言の日 1816年スペインから独立した日
アンゴラ 11月11日 国祭日 1975年ポルトガルからの独立宣言をした日
イエメン 9月26日 革命記念日
イスラエル 5月15日 独立記念日
イタリア 6月2日 共和国記念日 1946年国民投票により王制に代って共和制を政体とすることを決定
イラク 7月17日 1968年無血クーデターによってバアス党が政権を取った日
イラン 2月11日 イスラム革命記念日
インド 8月15日 独立記念日 1947年イギリスから独立した日
インドネシア 8月17日 独立記念日
ウルグアイ 8月25日 独立記念日 1825年ブラジルから分離独立した日
エジプト 7月23日 革命記念日
エクアドル 8月10日 独立記念日 1822年スペインから独立した日
エリトリア 5月24日 独立記念日 1993年エチオピアから独立した日
エルサルバドル 9月15日 独立記念日 1821年スペインから独立した日
オーストラリア 1月26日 建国記念日 1788年最初の移民団が上陸した日
オーストリア 10月26日 建国記念日
オランダ 7月25日 独立記念日
ガーナ 3月6日 独立記念日 1957年イギリスから独立した日
ガイアナ 2月23日 共和国の日 1966年イギリス連邦から独立した日
カナダ 7月1日 カナダ・デー 建国記念日
韓国 8月15日 光復節 1945年、日本の敗戦により植民地支配が終わった日
10月3日 開天節 紀元前2333年、伝説上の檀君王倹が古朝鮮王国(檀君朝鮮)を建国したとされる日
■2004/02/09 (月) 建国記念の日を想う
そもそも建国記念日などと言うものが、いつから意識されてきたのでしょう。
 私の私見ですが、独立記念日から来ているのではないでしょうか?
つまり、植民地支配国の圧政から開放された日を記念して制定されたのでしょう。または、中国のように、前政権を打ち倒した日です。
 また、現在立憲君主国となっている国は、現王朝の創立記念日でしょう。
それが、外国との交流で、日本も特定の日の決めざるを得なくなったのでしょう。
しかし、その諸外国もその前には別の政治体制があったはずですが、一応の区切りとして定めています。
 日本の場合、いつからが日本の国か分からないのが当たり前です。それはそれで認めなくてはなりません。
 たとえば江戸幕府が成立したからと言って、新しい国が誕生したわけでもなく、明治維新にしたところで、政権が幕府から朝廷に返還があっただけで、明治新政府の成立を以って建国とするわけにもいきません。
ですから、ことさら史学を持ち出して、厳密に建国の年月日を決め付けることなど無理なのです。
 それを踏まえて、どうしても強引に、建国の年月日を決めようとするのならば、ほかの基準を用いて決定しなければなりません。
 そうであれば、建国の起源を一応権威あるとされる、日本最初の史書日本書紀の記述にある、「神武紀元」に持ってくるのが一番相応しいと思っています。韓国こそ李王朝が滅び、日本の支配から脱却し、大韓民国が成立した年月日を建国記念日にしてもおかしくないのに、そうはしていませんよね。
 反対する人がいれば、代替の年月日とその理由を述べて欲しいですね。
■2004/02/09 (月) ごぶさた
 皆さん、ご無沙汰です。
ここは、本来日記と言う気持ちはまったくありませんでした。
ホームページを更新したり、掲示板でみんなのご意見にお答えしたり、思想を述べたり、イケナイジョークを放ったり、くさい駄洒落を飛ばしたり、はたまた、メールにて皆さんのご相談に乗ったりと、決して執筆活動をサボっていたわけではありません。
 しかし、このような貴重な場所をお借りしているのに、最近全然メッセージが無いと、ご不満をお感じの方も多いと思います。
 なぜならば、私自身がほかの人のホームページをのぞき、全然日記などが更新されていないと、「この人なにやってんだか?」などと、自分のことを棚にあげて、自分勝手なことを思ってしまうからです。私って、本当に身勝手ですね。
 ともかく、こんなすばらしい場所を提供して頂いているわけですから、思う存分利用してこそ、お貸しして頂いてくださっている、サーバー様に恩返しができますし、このホームページをごらんの方に、新しい話題を提供できると思うのであります。
 心機一転、これからはいろんな情報を提供していきたいと思いますので。どうぞご期待ください。
■2003/08/21 (木) 先人に感謝しよう
思うに、天皇は平安時代の中ごろから政治の表舞台から退かれ、小さな例外はあったにせよ、権威としてのご存在におなりになられ、為政者に実際の統治にふさわしい官位を授与する役目を担われました。
長いこと実権を握った幕府政権も、大宝の令、縁起の式の伝統を踏まえ、御成敗式目にもあるように、神社を手厚く保護し、祭礼の振興に心を配りました。
明治にはいって、神宮の政府による式年遷宮は、ほとんど先の江戸幕府の準備したものだそうです。このように、為政者にも自覚があったからこそ、伝統が護られても来ましたし、いかに実権を握ろうと、天皇と言う権威を冒すことは出来ないという歯止めがあり、日本には、戦乱があったにせよ、諸外国で見るような大きな動乱には発展せずに、今日に至っています。
明治維新は、いろんな論議はあるでしょうが、日本が欧米の植民地にならなかったこと一つを取っても、大成功です。その蔭にはご先祖様等の並々ならぬ苦労がありました。
一例をあげても、東郷元帥に、乃木将軍に感謝する国民は今いますか?当然感謝すべきなのです。彼等の活躍が無かったら、日本の運命も変わっていました。旧植民地国の発展の遅れをみれば一目両全です。彼等に命がけで国を守る事を学びました。国を守るということは、とりもなおさず、自分の愛する人たちを守ることでもあります。
■2003/08/18 (月) 神道の煌めき
日本神道は、他の民族宗教同様、シャーマニズム、アミニズム的です。
しかし、八百万の神を祀りながら、その大本の大神様は、皇室のご先祖だと、
言うことです。ご批判もあるでしょう。しかし、神話の神様が、皇室と言う現実に結びついていたからこそ、神道も皇室も長久で今に至ったのであります。
いくら、すばらしい信仰、教え、教義、伝統、美風があったにせよ、大変革の時代には、木っ端微塵に吹き飛びます。
しかし、自然宗教で在りながらも、国家の大本を確立させた、
人類史上類まれなき、神道に育まれてきた日本人は幸せです。
■2003/08/11 (月) 祝詞公表に至った経緯
検索エンジンで「祝詞」を検索をすれば、たくさん出てきます。でも、誰もが見易い読みやすい、しかもどのような漢字が使われているのか?まで、詳細に表示しようと言った、読者の立場にたって考慮されたものは、それほどたくさん有ったでしょうか?しかもなお祝詞そのものが持つ、典雅な雰囲気も損なわずにと、言ったところまで考えたのは無かったはずです。
 私は、ウェブにあえて公表する時は、誰にでも読みやすい、しかも詳しいところまで分かり、しかも格調高い画面が必要だと考えていました。その方法が分かるそれまでは、余り公表する気持ちにはなれませんでした。それまでは発表しても、祝詞は、ただでさえもとっつきが悪いのに、あえて?と言う気持ちでした。漸く方向性が分かりましたので、今やっとたどり着いた画面表示でのみ、祝詞を発表していきます。欧米人が聖書をそらんじているように、はたまたインド人がヴェーダをそらんじているように、我々日本人もこの日本の誇り「祝詞」を枕もとに置いて欲しいと言うのが私の願いです。
■2003/08/11 (月) 祝詞公表について
普段祝詞に接することが無い読者の皆さんに、多種多様、さまざまな祝詞を発表していきます。選定は、私の独断と偏見ですが、皆さんのお心が深まりを見せるようにとの願いをこめて編集しました。
 特にブラウザのビューの観点から、本物の祝詞らしく見えるように工夫してあります。もちろん、横書きでしか表現できませんし、本物の祝詞は漢字、万葉仮名交じり文で、読者の方にはとっつきにくいものがあるでしょう。
 そこで、漢字かな混じり文に書き改め、全ての漢字にふり仮名をつけました。祝詞は声に出して奏上してみて、始めてその言霊の持つ神秘的霊力が発動されるものです。多少意味が分からなくても、一心不乱にお唱えすることにより、知らず知らずのうちに大神様等や御霊様のご守護を頂けていたりするものです。
 これはほかから聞いたお話ですが、アメリカ人の神道崇敬者が英訳の祝詞を唱えていたところ、余りピンと来るものが無かった。そこで、日本語も余り得意ではなく、ましてや日本語の古文となると、さっぱり分からないような状態で、原文の奏上に切り替えた所、心の奥底から得も言われぬ感動が生まれ、心は爽やかになり、元気が漲って来たというお話を耳にしたことがあります。私自身はおそらく本当のことだと思っています。
 翻訳文は、現代語訳であれ、英訳であれ、そのものズバリではでは無く、あくまでも本物の説明文にしか過ぎません。いわば薬の効能書きであって、薬そのものではないのです。このことは現代に生きる私たちにとって、非科学的に聞こえるかも知れません。しかし、神秘は存在するのです。もちろん意味が分かればなおより一層結構なことです。しかし、それに頼りすぎてもいけません。真剣に覚えたい人だけご覧いただければ結構です。
 実際にどのようにお唱えするのか分からない人のために、サンプルの音声も入れました。
■2003/07/24 (木) 御霊 魂振り 魂鎮め
人は皆御霊の平安忘れし時苦悩は訪れしという

さればみたまはいかなるものか
これから話してしんぜよう

我の全てつかさどるは、ナオビ(直霊)といえり

そも一つにあらじ、四つの御霊に分かれしといえり

幸いもたらすサキミタマ(幸御魂)
左脳を支配し、計算、論理的思考、空間認識、距離感
理性などをつかさどれり

奇しき働きのクシミタマ(奇御魂)
右脳を支配し、文学、絵画、造型など
あらゆる創作活動の大本で、
イメージ、感情などつかさどれり

和やかな、ニギミタマ(和御魂)
肉体の全ての細胞、循環器、系呼吸器系など、
全ての組織をつかさどれり
まさに人体組織という世界で
もっとも複雑、精緻、巧妙な
コンビナートの管理者なり

荒々しき、アラミタマ(荒御魂)
骨格、肉体の外形を支配せり
また、存在のエネルギーなり
このミタマのなかりせば、
この世に瞬時も顕れ出ること不可能なり

これを名づけて、一霊四魂(いちれいしこん)とは言えり

まか不思議なるは人間なり

ばらばらに成りしおのれの四魂を
直霊の本に統一せしめん

御魂、霊振り、霊鎮め
ひたすらに、御祖の神業励もうぞ
ひとふたみいよう、、、と唱えつつ、
布瑠部 揺ら揺らと 布瑠部

霊鎮め ちぢにみだれし わが心 一つにまとめ よみがえらむと

あな尊きろかも、人は神の子にませば 合掌

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